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灰と薔薇の夜想曲~灰の夜想曲~ 05


「違う。まさか、叩かれたくてわざとやってるんじゃないよな?」
レルムさんの思い通りに振る舞えず、手を打たれた。
あれからレルムさんは、屋敷に来ては俺に指導をする。
普段は容赦のないレルムさんも、迷ったり落ち込んだときには少し優しい。
もう何日、否定の言葉だけを聞いているんだろう。

けれど仕方がないことだ。
俺には誉められた部分が無いだけなのだから。俺が悪い。
落ち込むなんて許されない。
レルムさんは人間だから、迷うこともある。
ガラクタ未満にでも…誰にも見られない、ガラクタ未満だからこそ弱味を見せられる部分だってあるだろう。
「…俺は何もない、無価値なものだから」
「そう。だから、俺がお前に価値を与えてやってるんだ。俺にとっていい子になる必要があるのは当然だな?」
酷薄な笑みを浮かべながら、レルムさんの手が胸ぐらを掴む。
「…………はい」
分かってはいても、何もかもが悲しくて、情けなくて、悔しくて。

ある日、一人になった部屋で改善点を書いたノートを無意識に黒く塗りつぶしていた。

「俺が悪いかのような事をしているんだな」

突然部屋のドアが開き、レルムさんの冷たい声が投げ掛けられた。
振り返れば、見下した目で俺を睨み付けていた。
「罰を与えられるのは、手だけじゃ足りないのか。確か…防音室があるって言ってたよな?そこに案内しろ」
視線を向けたまま冷たい声とおどけた声を交互に使い、命じられる。
「…、こっち、……です」
ぎこちなく先を歩き、案内する。

扉の鍵を開け、ノブを回した瞬間、背中に強い衝撃を受けて勢いよく室内に飛ばされた。
「…いい部屋じゃないか。ここならどんなに叫んでも、俺の『人に』見せたくない部分も、お前を指導する音も外には聞こえない」
起き上がらないよう、背中を踏みつけられる。
鈍い痛み、鋭い痛み、様々な痛みに襲われる。
「自分が悪いんだろ?俺に従えない、力もない、媚びることでしか勝負できない自分が!俺に当て付けまでして!自分を可哀想がってないで、可哀想な奴だと自覚しろ!無様で可哀想な生き方に甘んじろ!」
「お前は、俺だけを見て、必要なときに俺だけを肯定すればいい!そうすれば、俺がお前を必要なものに仕立ててやる!」
それは、何を意味するのか。
頭の中が赤い。背中を中心に無数の傷と痣がつけられた。
無意識に頭を抱える手は、更に傷を増やした。
力が抜け、浅い息で酸素を求める俺を見て、レルムさんはようやく責める手を止めた。
「……俺を拒んだお前が悪い。反省しろ」
靴音が遠ざかる。その音に呼応して意識を手放すのが、いつの間にか俺の生活の一部になっていた。

******

…そういえば、俺は何故この屋敷に防音室があると知っていたんだろう。
すぐに使えるよう鍵が壊され、今は懲罰房となった、この防音室。
あのとき……着飾った一年前、何故クローゼットから『迷わず』『一番良い衣装』が出せたのだろう。
今は埃を被ったクローゼット。
そういえば、確かに俺は標準的な体型ではあるが、入っている服のサイズも趣味も合う。
この廃屋敷の中を探索したことはない。
自分のための物を買い足したこともない。
宝物たちを並べたあの部屋と、最低限の場所だけで生活しているのに。
そもそも、俺はいつからここに住んでいた……?

次々と疑問が浮かんでくる。
思い出すのはあの薔薇の庭園。
あんな場所を、俺も持っていた気がする。
「……っ、ぅあ……!」
痛む体を引きずり、部屋を出る。
レルムさんに逆らうのは怖い。
けれど、今しかない。
今、動かなければ。スーラの薔薇の香りを感じる。
幻影か、髪に染み込んでくれたのか。
また会いたい。スーラに。
その愛を、心を受けて育つ豊かな薔薇の花達に。
その幽霊は暖かかった。
ガラクタ未満の俺にさえ。
彼のもとに行きたいと思うのは、弱い自分の逃げだろう。
レルムさんの言うとおり、奇跡的に見てもらえて勘違いをしているかもしれない。
それでも、同じ傷がつくのなら、俺はこの勘違いを選ぶ。
その先が絶望でもいい。終着地点が同じなら、ほんの少しでも甘い毒が欲しい。
ガラクタ未満も夢は見る。
希望だって見つける。
幸福な記憶を頼りに、痛みに焼かれながら、いつぶりかの希望とそこへの手順を頭に描き出した。

俺は、心はまだ生きていたいらしい。


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